淡路駅の高架化工事が進んでいるんだかいないんだかよくわからない区間。特急停車駅+JRの駅までできてアクセスは良い。歴史的には結構面白いかも。純粋な編成撮影は微妙だが、記録としての撮影ならとても良い。
↑上新庄駅
■ 新庄第一架道橋
■ 新庄橋梁
■ 北陽踏切
■ 善隣社踏切
↓淡路駅
新庄第一架道橋
【メモ】
両駅の中間くらいにある小さな跨線橋。下をくぐる道は亀岡街道という歴史ある道。城東貨物線の赤川鉄橋北詰の定番上にかつて亀岡街道踏切があった(2018年秋に廃止)が、そこからまっすぐ北上してきたらしい。
かつては築堤だったらしいが、高架化工事にともない法面が削られ、淡路方のみ一部高架が建てられている。上新庄方であればフェンスの隙間から撮影できる。ただどちらかといえば記録向き。
・備考:
◆東側から
新庄橋梁
■下り(梅田方面)列車
【メ モ】
ここも同じような跨線橋だが、さらに小さく人・軽車両専用。
そしてやはり法面が削られているのだが、こちらのほうが見通しが良い。また架線柱が片持ち式に変更されていふので架線柱は被らないが工事関係の仮設階段などが重なりがち。
・備考:
◆東側から
北陽踏切
■上り(河原町方面)列車
■下り(梅田方面)列車
【メ モ】
個人的に興味のあった踏切。 というのも上り列車で前カブりをしていると、「北陽」という踏切名が目に飛び込んでくるが、しばらく走ると菅原道踏切の手前で左手に「関西大学北陽高校」の人工芝グラウンドが目に飛び込んでくる。はて、これはいかな偶然なのか?
調べても「北陽」は地域名称ではなく、北陽高校が独自につけた名称らしいので、ズレているのが不思議であった。
さらに調べてみると、元々北陽高校はこの踏切の北東側に接して立地していたが、昭和中期に第2グラウンドのあった現在地へ移転したらしい。地理院地図で1960年ごろの航空写真をみると、果たして学校のウェブサイトに載っている円形のドームが、この踏切の北東側に写っているのであった。
さて撮影については、高架化工事の影響もあって東側からは難しい。
西側から上り列車を見ると、カーブしながらJRの高架をくぐった列車を望遠で撮影可能。ただし全体は入らない。また下り列車については、緩いS字カーブで後ろが架線柱に被りがち。またとなりに建設中の高架が影を落とすが、踏切のところだけ高架が切れている。そのため広角レンズを使って踏切まで引き付ければ正面は日が当たる。
・備考:速度は基本的に遅い
◆東側から
大阪方向 | 京都方向 |
◆西側から
京都方向 | 大阪方向 |
昭和戦前期発行の「大大阪観光地図」には北陽踏切の場所に「北陽商業」が記されている。
それにしても、「京阪電車(新京阪線)」「京阪電車(千里山線)」「新庄駅」「吹田町」など見ていて飽きない地図。またネタにしよう…
善隣社踏切
■上り(河原町方面)列車
■下り(梅田方面)列車
■JR線
【メ モ】
淡路駅からはJRの高架をくぐってすぐにの所にある人・軽車両用の踏切。
カーブの途中にあるため、撮影するならいずれも西側から。上り列車は北陽踏切と同じくJRの高架をカーブしながらだが、機器箱が近く望遠でかわさないといけない。下り列車はアウトカーブで4両目まで。
この踏切が謎なのは、踏切の名称。ネットで調べると踏切の由来は不明というのばかりで、「善隣社」というのをググっても地図のゼンリンばかり。ゼンリンは北九州の会社で無関係だろう。地図の会社だけに「善隣社 学校」とかやってもやっぱりゼンリンばかりと、ドンナルンマばりのディフェンス力に匙を投げたのだが、果たしてなんなのだろうか。戦後すぐの航空写真を見ても、大きな建物は無い…
ちなみに善隣という言葉は「春秋左氏伝」という紀元前の書物が出典だそうな。
・備考:
◆東側から
大阪方向 | 京都方向 |
◆西側から
京都方向 | 大阪方向 |
阪急京都線の撮影地一覧
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