旧・東青山駅を探訪。もう一度、廃駅の構内(その8)

一連の旧・東青山駅を探訪するシリーズも終盤戦。廃変電所を訪ねたあとは、また廃駅跡に戻ってまだ歩いていない部分を探索してみます。


【東青山シリーズ】

旧・東青山駅を探訪。山中の廃駅へ向かう(その0・序)

旧・東青山駅を探訪。霧深き山中へ踏みこむ(その1)

旧・東青山駅を探訪。ガケ崩れを越えて…(その2)

旧・東青山駅を探訪。ついに幽玄の廃駅に到達(その3)

旧・東青山駅を探訪。変電所の廃墟へ…(その4)

旧・東青山駅を探訪。発見、廃変電所(その5)

旧・東青山駅を探訪。廃変電所の探検(その6)

旧・東青山駅を探訪。廃変電所からまた廃駅へ(その7)

旧・東青山駅を探訪。もう一度、廃駅の構内(その8)

旧・東青山駅を探訪。さらば、東青山駅(その9)


ということで青山トンネルを見たあと、またホームのある場所へ戻ってきました。

大阪方のほうは駅本屋跡付近に比べると木が生えています。ただバラストが残っているためか、まばらで済んでいます。

ホームとホームの間にあたるはずの場所に謎の壁がありました。

現地ではこれもホーム跡なのかと訝しみましたが、どうやら差し込むスリットに止水壁を嵌め込む、止水用の壁だっだようです。

古そうなコカコーラの缶が落ちていました。

軽くネット検索しましたが、いつのものかは判断できず。

駅本屋付近に戻ってきました。

広いホーム間にある、架線柱を立てていた土台。

またカメラ設定を変えて撮影してみます。

↑ノーマル・↓鮮やかさ増し

鮮やかさ増しだと霧が緑っぽくなりますね。

さっきはスルーした、大阪方面ホームの上に登ってみます。

気になるのがこのヤカン…

少なくとも去年の台風以降に置かれたのではと思うのですが、いったいなぜ…?

それにしてもこのホーム、かなり細いですね。阪急中津や春日野道くらいしかありません。

白線はタイルで埋められているのでこの幅だった可能性が高いとは思うのですが、あまりに細いので時期によって変化したのではとも思う次第です。

元々左側に折り返し線が無くて広かったのだろうとか、折り返し線が無いからこの幅で良かったのだろうとか、ホーム間が広すぎるので右側に拡幅していた時期があったのだろうかとか…

それともやっぱりずっとこの幅でやっていたのでしょうか。発車時刻が近づくまでは改札をせずに駅舎で待たせておくなどして。

駅跡に入った際はすぐに大阪方に行きましたので、入り口から伊勢方は未踏ということになります。

伊勢方の滝谷トンネル入口まで行くことにしました。

お、あれは…

名高い売店跡ですね。岩盤をくり抜くようにして建てられたアグレッシブな立地です。

手前には倒れ朽ちたショーケース。中に入っていたであろう瓶が割と綺麗な姿で散乱しています。

フタがなく、中身はありませんでした。王冠が腐食したのでしょうか?

なお売店の脇にあるというハイキングコースは気付かず…

売店から歩くことわずか…

また橋桁がありました。これまでのものよりさらに華奢なような…右下には木製の橋板が載せてありますが…ほんとにこの上に線路があったのでしょうか?

霧の奥にトンネルが見えてきました。

がっしりしたトンネルで、青山トンネル同様に小さく封鎖がしてあります。

隣には階段が…

登りませんでしたが…

トンネル前から大阪方向を見ます。逆側の青山トンネル前はキュッと谷が狭まった奥の奥という感じでしたが、こちらは大きく広がっています。テニスコートくらいは作れそうな広さ。

1970年代前半に撮影された航空写真では空き地であったように見えるのですが…ここも砂利敷なんですよね。かつては保線基地でもあったのでしょうか?

酒かなにか?の陶器片もありました。

トンネルからホームまでは50mほど。

戻ってきました。

いよいよ不安になってきたのと、寒さでトイレにいきたくなってきたので、そろそろまたガケ崩れを越えて帰ることにします。最終回につづきます。


【東青山シリーズ】

旧・東青山駅を探訪。山中の廃駅へ向かう(その0・序)

旧・東青山駅を探訪。霧深き山中へ踏みこむ(その1)

旧・東青山駅を探訪。ガケ崩れを越えて…(その2)

旧・東青山駅を探訪。ついに幽玄の廃駅に到達(その3)

旧・東青山駅を探訪。変電所の廃墟へ…(その4)

旧・東青山駅を探訪。発見、廃変電所(その5)

旧・東青山駅を探訪。廃変電所の探検(その6)

旧・東青山駅を探訪。廃変電所からまた廃駅へ(その7)

旧・東青山駅を探訪。もう一度、廃駅の構内(その8)

旧・東青山駅を探訪。さらば、東青山駅(その9)


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コメント

  1. makura_ozaki より:

    コメントありがとうございます。
    承認・返信遅れてすみません。

    確かに、水路トンネルの類などは明らかに後補の作りでしょうし、ある時期までは駅の脇を流していたに違いありません。
    当日は普通の雨でしたが、駅下の川の水量はかなりの量で、しかし駅構内には明確な河床のようなものがなく、雨のたびにちょっとした洪水のようになっていたのではないかとも思います。

    そういう遺構をくみ取っていただき、ありがとうございます。
    晴れの日に再訪していますので、いずれ晴れの日の写真も上げたいとは思っています。

  2. カイラ  より:

     国土地理院の航空写真さん とても興味あるレポート感謝します、
    この廃駅に以前から関心がありましたが、その中にこの駅の現役時代の
    貴重な写真の中に 上下線の真ん中に防護壁がホームのカーブに沿ってあるのは
    なんなんだろうと?思い続けてきましたが、(レポートのその8)の写真の中に
    端にスリットのあるものを撮ってらっしたので、ハタ!と確信がいきました。
    この構造物はまず、この駅の線路やホームを垣内川からの溢水から守るものだったろうと
    推察できたからです、 もともとこの旧青山駅は陸軍が目につけた時代から川の河床で
    湿地帯だったそうです そこでこの駅のちょっと上流にプチダムを作り
    垣内川の治水をしようとしたものの時に嵐の時など溢れ出ることがあったのでしょう、 
    そこでこんな
    他の駅ではありえない構造物を作らざるをえなかった、 溢水の時は木枠でも嵌め込み
    少しでも水の被害を防ごうとした・・・そう想像しているのです。
    それでも溢れた水は大阪方面ホームの脚下を流す、そのためにこのホームは
    石でホーム基盤を作ってませんよね。
    私のイメージが当たっているとしたら この駅は誠に苦しい環境にあった。 
    例えば名古屋方面ホームの後端付近崖はコンクリを吹き付けられ補強され、それでも
    崖の崩壊からホームを守るためにレールを壁に何十本も打ち込みソコへ木の板をはめこんで
    防御壁としてます しかもそのレールの防御壁が現役時代に破壊されてる写真も
    残っているのです、
    そんな苦労の積み重ねで多くの人の利便が果たされた、 そう思ってしまうのです、
    ややもするとあの大悲劇ばかりがクローズアップされますが こういう日々の
    連綿とした苦労を垣間見せる構造物こそ心に沁みます。
    もしかしたらあの暴走の原因に加担してしまった駅の助役もそんな日々だったのかも知れません。
    画像 感謝します。

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